マインドフルネスで高まる判断力の本質。
いまさっき90分間のYINyogaを終了しました。
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でもなんとなく終了という言葉は正しくないような気がするなぁ。
終わるのではないのだよね。
余韻が残る。
身体も楽になるのでだけれど心も柔らかくなる感じ。
柔軟になるというか、いま起きている出来事をゆったりと受け入れることができる心の持ちようというか。
まあいっかぁ・・っていうある意味投げやり的な気持ちと違うのです。
受け止めるというか包み込むという感覚。。
ただ猫を抱くだけで家族と話しをするだけで、心の底から幸せだなぁと感じる。
感動で涙がでるようなそんな感情です。
自分でも書いていて不思議な感じがするけど、でも本当なのでだからしょうがない。
そんな感情になることができたことがある意味感動です。
実は最近は少しできるようになってきました。
外乱に巻き込まれないで、冷静に第三の眼で自分を見つめながら物事に対応すること。
普段の仕事や生活も、五感から入ってくる情報やそれによって沸き起こるさまざまな感情。変えることのできない過去や起きてもいない未来を、勝手に想像して想い悩む自分。
そんな大量の想いや感情が錯綜している心の中で、たくさんの物事を冷静に判断するなんて考えてみると大変なことなのです。
過去の経験値で判断できる事象であれば、情報を集めそれなりにシックスセンスで対応できるのかもしれない。
でも新たに起きた事実、これから起こりえる未来に対して対応する事象などでは過去の情報なんて、せいぜい説得材料ていど。
実際の判断としてたいした役にも立ちません。
その時の決断なんて、すごく悩んで、眠れないくらい想い悩んで、心が落ち込むくらい悩んでも、結果なんてどうなるかわからない。
もしかしてせいぜい人の眼や自分の立場、気持ちが楽になるほうとかお気楽に決断してもたいしたことはないのではないかと言うことです。
つまりはその決断によって、未来で起きたい事実は結局その時に、また新たな問題として対応して決断することになるだけなのですね。
そうなるとその決断の根拠は、
自分自身が納得できるか決断だったかどうかだけで、結果は千差万別。
予想はできても予定はできないということです。
んじゃ自分自身が納得できる決断って何?
ってなりますが、
これはいかに自分と向き合って向き合って、向き合い続けて自問自答を繰り返し、
そして自分の中に、軸というか信念というか、自分自身の生きる哲学みたいなものを確立しているかに尽きるのではないでしょうか。
自分の信じている哲学、信念に基づいて決断する。
結果はどうなるかわからないし、あまり良くないこともある。
人を説得するにはロジックは必要だけど、自分を説得するにはロジックはしょせん上っ面のまがい物、自分を無理やり納得させているだけ。
もっと奥深くの揺るぎのない青白く静かに燃える炎のものが必要なのでは思うのです。
マインドフルネスはいつも自分自身と向き合います。
自分とは、世界とは、とか考えるのではありません。
本当の自分を追い求めるわけでもありません。
生きていく上でのたくさんの情報や雑念を遮断することにより、すべての被り物を脱ぎ捨てたまっさらな自分自身を見つけることです。
自分の心の奥底にある、本当の自分自身に気がつくことで、自分自身を形作っている本質が見えてくるのではないかと感じています。
瞑想やヨガ、仏教により、気が遠くなるような長い年月語り継がれているメゾットは、とても効率よく自分の本質に近づくことができると感じています。
マインドフルネスを始めて6か月。
もっともっといろんなことに気が付くことができると思うとワクワクします。
この先が楽しみにです。。