男ヨガの世界

還暦を過ぎてサラリーマン生活も終わりが見えてきた今日この頃、これからの人生を思い描いた時にヨガに出会いました。男性だって精神的な不安や弱気になることだってある。肉体面での不安だってある。新しい人生を踏み出す時に、精神的にも肉体的に自信を持っていたい。自分の心の拠り所になる強力なアイテムがヨガなのです。あなたも男ヨガの世界に入ってみませんか。

マインドフルネスで「共感力」を磨く。

仕事をしたり日々生きていく上で「共感力」って大切だなと思います。

共に感じる。。

といっても誰かを思いやるとか、誰かのためになることをしてあげるとかではないのです。相手の気持ちになって一緒に泣いてあげるとgあか考えてあげるというのも違うかな。

そのもの相手のためになるとか、自分以外のことに目を向けられるのは、あくまでも自分がある程度充実した人生を送っているからこそで、スーパーお金持ちの人達以外は、特に日本のサラリーマンの人達は、資本主義にどっぷりと浸されて、偽りの幸せを求めることだけで疲弊して疲れ切っているわけで、自分のことだけで精一杯だと思うわけです。

実際、相手の気持ちになってあげるといっても、自分の経験があってこそで、よくよく気持ちを整理すると、自分の過去の経験や人生の出来事の中で体感した気持ちに対してでないと寄り添えないし、なんとなく寄り添ったほうがいいかなとか、自分と比べて不幸度合を図ってみたりしてる自分もいるかもしれないわけです。
そして、しょせん少し時間がたつと、ラーメンでも食って帰るか、、なんてことを考えてると思うのです。


ちょっと毒舌になりましたが、

こんな、人の眼を気にした上っ面の同情とか、感情の話ではなくもう少しロジカルな部分での「共感力」です。。

例えば
仕事をしてる中で、たくさんの人と付き合っていると思います。
もちろんそれぞれの人たちの価値観も違うし考え方も違うわけです。

あたりまえですね。
環境が違う人生を送ってきたわけですから。

まあそれを組織という枠で、上下関係を決めて、最終判断をできる人間をおいて、なんとか合意形成をしているわけです。
その意思決定の手法は、なんちゃって民主主義というか、ほぼ独裁主義的にある一部の偉い人の意見で決まっていることが多いかなと思うのです。

ここで問題なのは、最終決定する偉い人が、どういう思考回路で結論を導いているかということです。

話し合いもしないで、勝手に決定して通達する人は論外で、良くないわけではなく、それはそれで全責任を負う覚悟には頭が下がる思いです。

ただ議論して、結論を出すのであれば、なんちゃって会議ではなく、しっかりと「共感力」を働かせて結論をだしたいなと考えています。

特に歳をとればとるほど頭は固くなるし短気になるし柔軟性もなくなるので、柔らかく柔らかくできるだけロジカルになりたい。
しかも偉そうに意見をいいたくなるしね。 あーやだやだ。。

歳をとっているおじさん達も、偉そうなことばっかりいってる人もたくさんいるけど、結構あとで後悔してたり考えたりしてることをわかってほしい・・・

脱線しました。。。

ようするに、世の中は価値観の違う人の集まりだし、いろんな場面で意思決定をしなくちゃいけない。
そんなときに、権力を年齢をかさにして偉そうに結論を押し付けるのではなく、違った意見や考え方を深くしっかりと受け止めて、たくさんの意見の中から、「共通の価値観」を見つけ出す能力。。

これを「共感力」と言いたいわけです。

べつに特別な能力でなく、大多数の人がこんな発想で議論をすることで、共通の価値観をみつけることは可能かと思います。

例えばうまく言えないけど、
バリアフリーの世の中が必要だよね、ってなった時、では歩道の段差をなくそうとか、エレベータは必ずつけようとか、そんな話になるけれど、お金もかかるし、いますぐに実現することは難しい。

でも、バリアフリーの世の中って、身体の不自由な人やお年寄りや車いすの人が困らないで出歩けて住みやすい世の中になれば良いということでは。。ってことだよねって。

で、あれば困っている人を見れば、まわりの人たち全員で助けあうことを法令化しても
よいかもしれません。
これだとお金もかけずにすぐに始めることができる。

まあこんな感じのことかなと思うわけです。

共通の価値観とは、ようするに問題の本質のことです。

議論をしても、うまく表現できない人もいるし、考えがまとまらない人もいる。そんなの人間だから当たり前で、そういう人達の意見も含めて、問題の本質を見極めることができれば、合意形成は比較的抵抗なくできるのはないでしょうか。

なので議論は、常に、問題の本質は何か、みんなの意見を聞きながら、本質を見極めるように努力したく思うわけです。

まだ勉強中ですが、コツは、人間の感情をベースにすることかなと。

どんな話であれ、どんな問題であれ、人間が絡まない問題はないと思います。
必ず人間の思惑があり、きれいな分もきたない分もあってのことです。

人間の感情をベースに考えると、結論が大きく外れたり大きな間違いがあることはないと思うわけです。


この話はマインドフルネスに関係ないと思いますか?

人間の感情に踏み込むことは、感情を冷静に見つめることができないと分析できません。

例えば

「怒りの感情」

だれもが持っている感情ですが、怒りの裏に隠れた感情を見つめてみてください。

なぜ自分は怒っているのか。
何に対して怒りを感じたのか。

部下が失敗したことに腹が立った時。

そのミスで自分が怒られるかもしれないという恐れの感情ではないですか。
それとも成長しない部下に対して情けないと思う感情かもしれません。
もしかしたら自分の教えた方が悪いのかという悲しい気持ちかもしれません。

怒りの遭遇したとき、自分が怒りの感情に巻き込まれそうになった時、
そんなときにマインドフルネスのスキルを磨いていると、いったん冷静になって、別の角度から感情に向き合うことができるのです。

そして感情を認め巻き込まれずに分析することができる。

そんな冷静さを常に意識して生活することで、物事の本質も見極めやすくなるのではないかと思っています。

マインドフルネスはいろいろな形で応用できると感じています。